深林

感じた事/考えた事/書評/調べ物

デモの思い出。

恐らく僕が二十歳になる前辺りだったと思う。3.11の影響で反原発運動が盛んだった。 僕自身も原子力発電所について、熱心に調べていたし、周りも原発の話題で持ちきりだったと思う。 

ある日知人に誘われ、友人数人で反原発デモに参加した事があった。東京メトロ国会議事堂前駅で降り階段を登ると、プラカードを持った人たちが歩いていて、遠くから太鼓の音が聞こえてきた。流れに沿って少し歩くと長い行列が現れ、僕たちはその中に混ざっていった。何故か韓国の太鼓を叩いている人や拡声器で何かを叫んでいる人。普通の主婦から、驚いたのは子連れの夫婦までいた。僕は未だにデモに子供を連れてくるその感性が理解できない。皆3、3、7拍子で原発反対の声を張り上げ、目が合うと同じ志を持つ仲間だという様な感じで微笑みを送ってきた。国会議事堂周りは妙な一体感と熱気に包まれていて、その光景はどこからどう見たってお祭りにしか見えなかった。 

デモの騒がしい熱狂に体を滑り込ませて、奇妙な一体感に身を委ねているのは、実に心地よかった。まるでそこが日本を守る最後の砦かの様な感覚と、同じ思想と志を持つ仲間に見える人たちに囲まれて、安全な場所から国会議事堂に向かって声を投げつける行為は、確実に僕を酔わせていた。 

けれど同時に、冷めた感覚と妙な嫌悪感も感じていた。僕は一体感を感じるために来たわけでは無かったし、人々は皆とても行儀よく列を作り、礼儀正しく警察の指示に従い、理性的に悲しんでいた。 そう、彼らは悲しんでいた。今にも革命が起こりそうな激しい怒りでもなく、そこに平和への建設的な議論があるわけでもなく、ただ馬鹿でかい建物に向かって悲しみを訴えているだけだった。そして同時に、そんな僕自身を彼らの中に発見した。 彼らは羊の群れだったし、僕はその中の一匹の羊に過ぎなかった。羊が何百何千と集まって、メーメーと鳴いた所で一体何が変わるというのか?精々中にいる議員の眠りを妨げる程度のものだ。いくら集まっても、羊は無力だった。本当に嫌になる。正直、いっそ暴動でも起きた方がまだマシだった。自分の浅ましい奴隷根性を発見しただけだった。 

その後僕は、白けた感覚だけを抱えて国会議事堂前を後にした。帰り道友人の一人が突然怒り出し、警備していた警察官に突っかかった。僕は今ならその気持ちがよく理解できる。彼は悔しかったんだ。あの光景の馬鹿馬鹿しさ。どうしようも出来ない現実が。 

もちろんデモに参加した人の殆どが、その人なりの思想と熱意を持って取り組んでいたんだろうし、僕だってそうだった。けれど、何故か群れると駄目だ、無力な羊になってしまう。少なくとも建設的な物では無かった。 
もちろん僕だけが羊で、他の人たちは狼だった可能性も否定出来ないけれど、あの秩序正しい熱狂はやっぱり不気味だったし、恐らくデモに嫌悪感を感じる人は同じ様な感覚を持っているんではないだろうか?

 それ以降、デモには一度も行っていない。そもそもデモそれ自体が権力と共依存の関係にあるし、でかい運動はそれだけで大金や利権が発生するビジネスとしての側面も持つわけで、仕切ってる側からすれば出来るだけ長く続いた方が得なんだろうと勝手に思ってる。これは勝手な結論なので、詳しい方がいたら是非教えて頂きたいです。 

当時の僕にとっては、緩やかに統制されたデモは怒りが爆発した暴動よりも不気味で怖いものだったし、それは今も変わらない。けれど、気付いたらそういう物に囲まれて取り込まれてしまう事はよくある事だし、ぼうっとしてたら心はパッケージングされて息苦しい思いをする。そういう事を明確に感じ始めたのは、あの頃だったと思う。